映画『セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』を観た。
1ヶ月以上経った今も、彼の半生と踊りの美しさについて考え続けている。
観て心動かされたこと、それがどんな具合に動かされたのかということの忘備録としてブログに書き記しておくことにした。
id="家族のために全てを踊りに捧げたのに">家族のために、全てを踊りに捧げたのに
ウクライナの田舎町で生まれたセルゲイポルーニンは体操と踊りの才能を持っていた。
体操かバレエかの選択を迫られた時、母親の野生的勘でバレエの道を歩ませた。
そして親元を離れてバレエ学校に入学した。
留学費用を捻出するために家族はバラバラになった。
失敗したら国に帰される。失敗できない。そんなプレッシャーを感じながら追い詰められるように練習に打ち込む。
そして彼の才能は開花していく。
いつか家族みんなで暮らすために踊りに打ち込んだ。
しかし両親は離婚し、家庭は崩壊した。
19歳で英ロイヤル・バレエ団のプリンシパルになるも、2年半後に電撃引退。
踊るモチベーションを失った彼は、彷徨いもがきつづける。
(ここまであらすじ)
両親の離婚を知った15歳の頃、「もう二度と大事なものはつくらないと決めた」というようなことを語っていた。
(彼は物語の後半で家族と和解する。大事なものを作れるようになったかどうかはわからないけれど、長年会わずにいた家族を公演に招いて抱擁する。また大事なものを作れるようになってほしい、と願わずにはいられない。)
彼は涙は流さなかったけれど、ほとんど泣いていた。
全てを犠牲にして踊りに捧げたのに、何より欲しかった家族が失われてしまった。
それを見てわたしは思った。
貧しい家庭に余りある才能がもたらされると不幸になってしまうのだろうか。
お金のかからない類の分野もある。そこに与えられた才能は家庭を支えるようになるだろう。
しかし圧倒的にお金のかかる分野もある。バレエもそうだった。
それを支える資本力があれば、セルゲイの家族はバラバラにならずに済んだだろう。
彼は田舎町で家族と一緒に普通の生活を送りたかったのだろう。
しかし、舞うことの快感を知った踊り子は、踊りを知らなかった自分には戻れないだろう。
踊るモチベーションを失ってしまった、しかし踊らずにはいられない。
また子供になったような気分でいるんです。
彼は踊りの才能を持ちすぎてる。彼のようになりたくてもなれない人がたくさんいる。
圧倒的追われる側、それはとても孤独だろう。
モチベーションをどこにもってくるか?有り余る才能を持っている人ならではの苦しみがあって、しかもほとんどの凡人はその悩みに共感できない。
彼はバレエにとらわれない方がいいのではないか、と思った。
そして、どんな分野でもいいけれど、いろんな分野の圧倒的な才能を持つ人とともに過ごして、自分の情熱の火を絶やさないことに注意深く意識を向けた方がいいのではないだろうかと思った。
そんなことを思っていたら、パンフレットでこんなことを語っていた。
僕は「ダンサーでも俳優でもない」と言った途端、なんでも自由にできるようになった。自分を閉ざすことなく、なんでも試したい。
(中略)
僕はまた子供になったような気分でいるんです。
なんてうつくしい言葉なんだろうと思った。
また子供になったような気分、それは今から人生が始まっていくような心の明るさ。
何でも好きなことを始めていいし、遅すぎるなんてことはないって知っている。
誰にでも会えるし何にでもなれるし何を目指してもいい。
迷い苦しみそれでも踊っていた彼が、こういう境地に至ったことは本当に喜ばしいことだと思った。
何より印象的だったのは、『Take me to Church』のMV。本当に素敵だった。
このMVについて、彼はこのように語っている。
ラストダンスのつもりで踊りました。
(中略)
これで何もかも終わりなんだという気持ちー臨終の感覚のような中で踊っていると、自分の中のもやもやとした霧のようなものが少しずつ晴れていくような気がした。
(中略)
ぼくが捨て去ろうとしているもののことばかり頭に浮かんで、とても悲しかった。それで思ったんです。僕は何かを見失っているのかもしれない、と。
パンフレットより
ジャンプしている時だけ、これが自分なんだと思えるという青年が口にするラストダンスって言葉は、それだけで涙が出るほど悲しい言葉だと思いませんか?
パンフレットで語る通り、彼は一度この時死んだのかもしれない。
そして生まれ直したのだと思う。
ハワイの山の中にある建物の光が燦々と入る、決して広いとは言えない部屋で踊るのだけれど、檻の中でさまようように激しく踊る姿に引き込まれた。
窓にぶつかるのではないかという激しさで駆け寄ったと思ったら、ピタッと動きを止めてとてつもなく優美なポーズをとる。時間の流れ方が変わったみたいに。
彼が「世界一優雅な野獣」と呼ばれる所以がストンと腹落ちした。
本当に野獣のような荒々しさと激しさと、美しさ優雅さが同居している。
わたしは正直に申し上げて、美しい男性が踊っているところを見るのが好きだ。
しかし、いつまでも見ていたいと思う人ばかりではない。(申し訳ない話だけれどうつらうつらしてしまうこともある。)
なぜそういう風に境界があるのかはよくわからない。人それぞれ惹かれる人が違うようにできているのかなと思った。
(ちなみに私にとってプルシェンコは踊りをいつまでも見ていたいと思う人だ。スケートでも陸上でもいい。指先まで音楽が流れている感じがして、instagramで流れてくる練習動画だけで幸せな気持ちになる。)
セルゲイ・ポルーニン、彼が踊っているところをいつまでも見ていたいと思った。
彼は89年生まれ。私と一つ違いの年齢だ。
同世代で好きな人間がいることは嬉しい。死ぬまで追いかけられるから。
(ceroに対しても同じようなことを思っている)
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