「なんにもしない」をした。


今日はなんにもしないをした。これをするのは本当にいつぶりだったろう。下手したら一年以上ぶりだったかもしれない。

昨日まで仕事の山場で、昨晩というか今日の明朝に一旦あらゆるものを提出した。

今日くらいは自由に過ごそうと思った。


マッサージに行ったり、本を携えてカフェに行こうかと思ったけど、そういうことをしようと思うと顔を洗ったり顔を作ったりよそ行きの服を着たりして寒い中歩いてバス停で何分か待ったりしないといけない。いや、顔くらいは洗うけどそれ以外は面倒ではないですか。

今日はとびきり贅沢な「なんにもしない」をすることにした。


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お汁粉を食べ、布団に入ってだらだらとTwitterなどを眺め、読もうと思っていた本を読み、飽きたら自分の爪のマニキュアを眺め、それにも飽きたら眠った。

ぬいぐるみを撫でて「宇宙一かわいい!」と鼻息荒く褒め称え、また眠っては本を読み、お昼ご飯を食べるのも忘れて夕方を迎えた。


これ、かつての自分だったら贅沢なことだとは思えなかった。

どこかに出かけて何かをしたと言えるようなことをすることこそが有意義な休日の過ごし方で、なんにもしないというのは基本的に罪悪感を伴うものだった。

でも毎週末出かけるのが本当に贅沢なんだろうか。休みたいときに思い切り休めるのもまたとびきり贅沢なのでは。


同じことをしていても「今日も何もできなかった」という捉え方をすると、自己肯定感が下がる。

今日は何もできなかったわけではなく、敢えて「なんにもしない」をしたんだ、と考えるだけで途端に有意義に過ごせた気がしてくる。

そもそも「なんにもしない」は仕事に追われてない時でないとできない。
体調を崩していても、うんうん言いながら寝込むことになるから、自分の意思でなんにもしないをするには健康である必要がある。

だからやっぱり、敢えてなんにもしないをするのは究極の贅沢なのだ。