フィッシュマンズのライブレポを書く時に考えていることがある。
一度この文章を読んだら読まなかった時と同じ聞き方はできないような、そういう文章を書けたらいいなぁと思っている。
ライブを見る・聞くというのは、その音楽自体を聞くものでもあるのと同時に、文脈を聞くものでもあると思っているので。

例えば私は彼らが活動した時代には小さな子供だったので、ボーカルのサトちゃんが生きていた頃のライブを知らない。DVDの映像でしか知らない。
けれど、当時ライブに足を運んだ人の思い出を綴ったブログというものがネットの海にはいくつか点在していて、そういうものを見ると「こんなライブがあったんだ」と頭の中で映像を思い浮かべてみる。

こういう風だったらしいという知識と、そこから派生した映像を、現在のライブを見ながら重ね合わせて見る。
目の前の映像と、想像上のライブ映像を同時に見る。
これが「見る」と「文脈を聞く」ということだと思っている。

そういう、先人達のライブの思い出の文章達に助けられてこの10年過ごしてきたので、自分も感想を綴っておきたい。


6月14日にDOMMUNEでフィッシュマンズの無観客ライブが配信されました。
このライブのタイトルは「INVISIBILITY」つまり見えないもの。
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どの曲を聴いても、vo.サトちゃんの不在を感じる。
見えないものをずっと感じ続けるライブだった。

見えないものというタイトルは、このイベント自体につけられたものだったのだろうと思うけど(この配信の前半は無料で聴けるトークイベントのようなものになっている)
結果的にフィッシュマンズを聞いていたら必ずぶち当たる壁であり、
フィッシュマンズを聞くという体験は常にこの構造になっているから、テーマとしてあまりに適しているバンドなんだなと思った。


上にも書いたけれど、多分、とてつもなく好きな人々のライブというのは、音楽そのものを聴きながら同時に文脈を聞くのだと思う。
多層構造になっていて、
あ、これは〇〇年のアレンジとは違う。
これは2019年2月の闘魂とは違うな。あの時はあえて98年の男達の別れに寄せていっててそれがたまらなくエモくて、今回のこのシンプルなのもいいなぁとか。

あらゆる引き出しを引っ張り出して、いろんな記憶と重ねて聞くのだ。
私はその引き出しが、2013年くらいのso many tearsで歌われた数曲のフィッシュマンズの楽曲、2016年の名古屋、2019年2月の闘魂、2019年9月の音泉魂、生音の記憶はそれだけ。
それ以前のものは、音源として残っているものをディスプレイ越しに見たものしかない。
収録されることのなかった当時のライブの記憶のある人はそれらも多層的に見ることができる。
私はそれらを見た人たちの文章から映像を組み立てて見る。
自分の見たものも、後の人にとっては知らないライブの映像を組み立てるのに役立つから、どんな文章でも残しておいた方がいいと思い、感想を綴ります。


チャンス
から始まる。
2011年のフィッシュマンズナイトで、最後にチャンスが流れてその場にいた人たちで肩を組んで踊った覚えがある。

いなごが飛んでる
珍しい選曲だなと思った。
今回MCで初めて知ったけれど、サトちゃんがフィッシュマンズ結成前からずっと歌ってきた曲らしい。



ひこうき
デビュー曲ひこうき!という欣ちゃんの声で始まった演奏。
くっと息が止まる。
嬉しくて悲しい。
サトちゃん不在のフィッシュマンズのライブを見るたびにいつも思うのは、このことだ。
サトちゃんのお墓にはひこうきの歌詞が刻まれている。この曲を聞いて、青空の下とびきり明るいお墓を参ったことが思い出されて、やっぱりその体験も嬉しくて同時に悲しかった。

間奏のギターがよかった。前回聞いたときは2019年2月闘魂で、そこでは男達の別れに寄せていて、嬉しくて悲しくてしんどくて胸が詰まったけれど、
そうでなくて、もう少し明るくて軽い感じがよかった。


電子の海で聞いたことのあったデモテープのひこうきがとても好きで、おもちゃのピアノで弾いたような感じが可愛くて切なくて素敵だと思った。その印象に近かった。

なんていったの
欣ちゃんボーカル
この曲は多分ディスプレイ越しではなく、現地でビールを半口飲んで、半分目を閉じて左右にゆらゆら揺れながら聞くと最高の気分になるんだろうなと思う。

just thing
PV版や後期ライブの、浮世離れしてそのまま別の世界にトリップしそうなアレンジとは打って変わって、
アルバムのシンプルなジャズっぽい音で、
その肩の力の抜け具合は、2019年2月の闘魂でceroの高城さんがボーカルを務めて演奏された時のことを思い出させた。
あれはとびきりよかった。

頼りない天使
原田郁子さんボーカル
Noベースのところから、ベースが入ってくるところできゅっと心臓が掴まれるような心地になりせんか?私はなります。
思いっきり強そうな天使の像が片手を掲げて宙に浮かんでいる映像が面白すぎて目を閉じて聞いたけれど。
自分の未来全部預けても大丈夫そうな力強い天使がそこにいたので、頼りない天使ですが…?となって面白くなってしまったのだ。

MY LIFE
私が初めてフィッシュマンズの音楽に触れたのは、映画『人のセックスを笑うな』の挿入歌で、marimariが歌っていたMY LIFEといかれたbabyだった。
大学生の頃に友人宅に泊まって、夜中に無印の人をダメにするソファに頭を預けながら13インチくらいのノートPCを4人くらいで囲んで見て、
ゆったり散歩するみたいなテンポの音楽に眠気を誘われて、途中で眠ってしまった。
けれどその時に聞いた音楽は覚えていて、そのサントラを友人が大学の製図室のPCに入れたので、課題中の作業音的に聞いていた。
そのあと、佐藤伸治の歌ういかれたbabyをこれまた大学のゼミ室で、先輩の模型製作を手伝いながら、友人のiPodから流れた音楽で耳にすることになるわけだけど、
「この曲いいな。誰?」
「フィッシュマンズ。でもこの人もう死んでるよ」
と聞いた瞬間に、このフィッシュマンズという人たちの音楽をもっと聴きたいと思った。そのまま10年が経ち今日に至る。

メロディ
ところでこの日のライブ、原田郁子さんの声がとても小さかったように思う。
そのように音量を調節していたのか?
そもそも彼女の普段ののびのびした部分が爆発していないような、とは全編通して思っていた。
ものすごく遠慮しているような感じを受けて、もっとボーカリスト原田郁子が爆発していてほしいと思いながらも、
その物足りなさすら「見えないもの」というテーマを表しているのではという気持ちになってくる。


(換気ブレイク)

救われる気持ち
原田郁子さんボーカル

ところで原田郁子さんの髪がピンクと黄緑に染められていて、甘露寺蜜璃ちゃん(鬼滅の刃)のようだなとずっと思っていた。


IN THE FLIGHT
欣ちゃんボーカル

テレビで見た稲川淳二の怖い話で、もう10年とか15年くらい前だと思うけど、
女性が三人いて、それぞれが「もし自分が死ぬなら」という未来の死因の話をしていた。
「やっぱり交通事故じゃない?」「病気かな」
それぞれの女性が自分で言っていた通りの亡くなり方をした。
という話だったと記憶していて、
やっぱり普段からずっと考えていること、それも何年にも渡って考えていることがあると、その通りの行動をしてしまうのではないかと思っている。
それも、自分が書いた歌詞を自分の歌として歌うっていう風だと、強烈に潜在意識に刷り込まれるのではないかなと思う。

あと10年たったらなんでもできそうな気がするって
でもやっぱりそんなのウソさ
やっぱり何も出来ないよ
僕はいつまでも何もできないだろう

IN THE FLIGHT (佐藤伸治)

このIN THE FLIGHTの歌詞と、
JUST THINGの「くたばる前にそっと消えようね あきあきする前に帰ろうね」という部分を聞くたびに、
きっと行動というものはその人の思考に近づいていくんだろう、みたいなことを思う。


FUTURE
欣ちゃんボーカル
初め、視線をディスプレイからそらしていたので、
「もしかしてサトちゃんの録音の声を流している?」と思って視線を向けると、そこには欣ちゃんが歌っている姿が映されていた。
それくらい声が近くて、ああ、こんなに声色が近かったんだなと改めて思う。
(サトちゃん存命の当時からメロディのコーラスを欣ちゃんが担当していたけれど、声がサトちゃんに似ていてどっちがどっちかわからないくらいだった。)

94年(だったと思う)長崎のFM主催の海辺にステージを組み立てて行われたというライブ、(もちろん見たことはない)
そのライブを見た人のブログの文章を何度も何度も見たので、
自分が体験してもいないその光景を見る。
そこではFUTUREが歌われたということだったと記憶している。
(今探してみたら、当該ブログは消えていた。ネットにあげられた文章は永遠じゃない。探したい時には消えている)

忘れちゃうひととき
欣ちゃんボーカル

土曜日の夜
曲中で、あえて歌詞を間引いていた。
この記事の初めに述べた通り、このライブのタイトルは「INVISIBILITY」つまり見えないものなのですが、
見えないに加えて聞こえないものまでもってきたことで、欠落を感じる。
そして歌われているパートを聞いても、サトちゃんの不在を感じる。


I DUB FISH

いかれたbaby
確実にフィッシュマンズの中で最も有名な曲だし、当時比較的売れたとは思うけど、
決して大ヒットシングルではなかったと思うので(いうようなことを、当時について書かれた文献を読んでいて感じたので)
この発言でメンバー同士でくすくす笑っているところが、記憶を共有してきた人たちなんだなと思った。

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きっと欣ちゃんの健やかな感じが曲に与える印象を変えるのだろう。
サビで欣ちゃんと原田郁子さんが二人で歌うと、どこか爽やかですらあった。

MCで、フィッシュマンズの一番最初のライブ?リハスタについて話していた。
サトちゃん、欣ちゃん、小嶋さんが三人で都立大学のディンキーリンクスタジオというところでライブしたらしい。
初めて佐藤伸治さんを見たのはその時だったと、ベースの柏原譲氏は言った。
小嶋さんとサトちゃんが、全然飛ぶような場面ではなくても隙あらばギターとベースを持ってぴょんぴょん飛んでいたらしい。

その映像残ってないの?という問いかけに対して、欣ちゃんは
「ないんだよね。僕の残像というか、記憶の残像で覚えてるんだけどね」
と言っていて、
そういう記憶の残像を、断片でいいから聞かせてほしい。
それをスルメみたいにしがんで死ぬまで味わい続けるから、
と思った。


MCで彼らは「パルコにいるよ」と言った。彼らは今はパルコにいる。
私は多分80歳になってもずっとフィッシュマンズを聞いているんじゃないかと、そういう想像をよくする。
その頃には、今演奏している彼らもいなくなっている。
今はサトちゃんがいないけれど、いつか誰もいなくなる。
この人たちが生きている間、彼らの音楽を聴ける機会があれば全部に馳せ参じようと思った。この先のものはせめてなんにも見逃したくないなと思った。


最後の最後に、画面いっぱいに「dedicate to shinji sato」という文字が現れた。
って書いてあって、
dedicate…ってなんだけ…?って言いながら一文字一文字打ち込んでいって、そして「捧げる」って意味だと知って、ウッて心臓が痛くなってしまった。

見終えた後、ずっと悲しかった。悲しいんじゃなくて淋しいのかもしれないけれど。夜中の2時半くらいまで、布団に入っても眠れずに、頭に氷嚢を乗せてじっとしていた。
普段普通に過ごしているけれど、やっぱりサトちゃんはいないんだなということを改めて突きつけられた。
思えば、フィッシュマンズ全書[ 小野島大 ]を読み終えた時も、フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ [ 川崎大助 ]を読み終えた時も、
彼らの生きた時代についての文書を読むたびに、彼らの生きた時代を知れて嬉しいと思うと同時に悲しかった。もういないので。


今日、このライブを見られてよかった。
けれど、タイトルにあった見えないもののことを思わずにはいられず、
やっぱり嬉しくて悲しかった。

フィッシュマンズのこのライブを見て欲しい。
6月17日の23:59までアーカイブで見られます。2,500円です。


過去のフィッシュマンズのライブレポ記事です。
こちらもどうぞ。




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