本当に人の才能というものには恐れ入る。夫は散らかす才能が人一倍あると思う。

いや、かつての自分だってそうだったから、後天的に性質が変わることもあるのだろうとは思うのだけれど。

 

 

帰省して帰ってきたらこの有様だった。

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床には紙類が散乱している。せめて束ねておけばこんなに面積をとらないと思うのだけれど。

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寝室はこの有様だった。バケツにはいった乾燥済みの洗濯物からお目当のものを掘り出すために中身をぶちまけて、そのまま戻すという性質を持ち合わせていないのだ。

 

ちなみに夫が自主的に洗濯物を畳んだことはない。100回洗濯したら97回自分が畳んでいると思うけれど、畳まずにバケツに入れるだけで一晩放置することも結構ある。自分のタイミングで畳みたい。

そうなると朝に服を探す時、夫はバケツを掘り起こす。掘り起こすのは別に構わないのだ。お目当のものを見つけたら、ぶちまけた中身を出発までにバケツにひとまず戻してくれれば。しかしまあ戻さない。

掘り返したまま放置された状態を確認しては「(畳まないにしても)掘り返したら戻す!」と声をかけているが、声かけがないと本人が本来持つ性質を自然のままに発現させていくのだろう。その結果がこれだ。

 

ここまで荒れ果てた状態は、今まで見た部屋の惨状で三本の指に入るかもしれない。

ちなみにダイニングテーブルの上には食べかけのビスケットの袋が放置され、食べ終わった抹茶アイスのカップがスプーンと共においてあり、飲み終えたマグカップが放置され、洗い物がシンクに放置されていた。

 

ここまで散らかっていても何も感じずに通常運転で日常を回していける神経の図太さはあっぱれだ。それは一つの才能かもしれない。潔癖症の人は寝られないような安宿にも泊まれるだろうし、環境に順応できる力が強いということだと思う。人間としての強さを見せつけられる。

自分だってほんの4年くらい前は、こういう状態の部屋の中にいてもごく自然に生活してたのだ。今活動するだけの場所を確保して。机の上にあるものを一人分だけどかしてスペースをつくり、ソファの座面に積み上がった衣類を一人分だけどかしてそこに座っていたのだから。

しかし部屋を片付けるのが習慣になってからは、何もない状態の心地よさに気づいてしまって、作業を開始する前のルーティンが変わった。机をまっさらにして床のゴミを捨て、視界に無駄なものが入らない状態を作ってから作業に向かうようになった。ほんのその一手間で、作業中に意識が他に奪われなくなり、俄然集中力が上がる。

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旅行は楽しいけれど、帰ってくるたびにとてつもなくごちゃごちゃの部屋をリカバリーしないといけないのは割と面倒だなと思う。まあでもこの片付けも込みで旅行なのだ、と思うことにする。

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