散らかった部屋はやる気と思考力と行動力を奪いつくす。
旅(というか帰省)から帰ってきたら目の前がもの、もの、もの。
今日は帰ってきたらあれしてこれして…なんて考えてたのに、何もしたくなくなる。畳に横たわって、結局何もしないまま眠ってしまった。
よくこんなに散らかせるなってくらい散らかりまくっていて、何もかもやる気が奪われていく感じがする。
夫と自分で汚さの許容値が全然違ってきていることに気づく。そして、異なる感覚を持った人間が共同生活を送る上での、片付けへスタンスについて思いを巡らせた。
「なんで自分ばっかり?」
散らかした人間が自分ではないのでなぜ自分が片付けしなければならないのかと憤る。
二人で生活していて、夫が8割散らかしたとしても自分が2割散らかしてれば10片付けるのもまだ納得いくし、だいたい100%散らかる前にこまめにリカバリーするし。
でも旅行で5日とか家を空けて帰ってきてこれだとげんなりする。
10割夫が散らかして、しかもMAX100%の散らかり具合。これ以上散らかせないだろうってくらい散らかっていて、それを自分が片付けないといけないというのは、こう、納得いかないなぁと。
納得した上での片付けは嫌いじゃないけど、納得いかない片付けは手を動かしている間中「なんで自分がしなあかんの…」って言い続けてイライラしっぱなしになる。
床にコピー用紙を3枚も4枚もぶちまけてなぜそれを直さずに生活を続けるのか?
とここまで息継ぎなしで考えてふと冷静になる。
ほんの4年前の自分はこれくらいの状態は気にならないくらい汚部屋暮らしであったと。
夫の感覚はあの頃のままなのだということに気づいた。
片付けは、部屋が片付いてないと落ち着かない人間のエゴだと思うと気が楽になる
片付けは「すっきりした部屋がより好きな人間が自分好みの環境を整えるため」にやっているエゴだと思ってた方が喧嘩もなくていいと思うんだよなぁ。
片付いてた方が視覚的ストレスも少なくて済むし、「別に片付いてなくてもいい派の人間」も、片付いてない部屋か片付いてる部屋なら片付いてる方がいいかなと思ってるだけで、別に常に片付いてる状態を望んでいるわけでもないのだ。片付けの恩恵を受けられてラッキーという程度のものでしかないと思う。
片付いて清潔な部屋の方がカビもダニも埃の被害も受けづらくて、どう考えても健康に良い影響を与えるけれども、汚くてもまぁ人は環境に適応して暮らせるわけで。
片付けして部屋をすっきり保ちたいのは、部屋がすっきりしてないと落ち着かない人間のエゴなのだ。
受け入れられる汚さの許容値が低い方の人間が、そこに達する前にこまめに片付けるのが一番平和なのだ、多分。
相手に片付けてもらおうと思って相手が動き出すのを待っていたら、いつまでも片付けが開始されず(だって許容値がもっと高いからまだまだ耐えられるんだよね)モヤモヤしてイライラして爆発、そんな未来しか待ってない。
汚さ許容値の低い方の人間がさっと動くのがいい、だから自分が片付けするんだって自分で納得すると「自分ばっかり」ってイライラしない。納得がいってるかどうかはとても重要なことなのだ。
…ということを考えて黙々と掃除を続けています。
ただ、上のようなことを一人で考え込んでるといつかストレスが何気ないきっかけで怒りとして大爆発してしまうので(過去の経験上)考えたことは相手に話します。
それが、異なる生活様式の人間同士が生活を共同運営し続けるために欠かせないことなんじゃないかと思います。
おわり。
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