「地味な生活」の中に、おもしろさを見出したい

 

先日、繰り返す生活がちょっと苦手だと書きました。

▶︎「一歩、一歩。」この言葉にずいぶん救われている。繰り返す生活がちょっと苦手、家事を趣味みたいに楽しめたらな。

 

星野源さんが『そして生活はつづく』の中で「生活が苦手」だと言っていました。

 

 

星野さんは生活を軽んじて仕事を詰め込みまくり、過労で倒れました。

そして、生活は死ぬまで付き合う必要のあるものだと気付き、地味な生活のおもしろさを見つけて生活を楽しみたいと思うようになりました。

「家事が億劫。でも生活を楽しみたい」そんな風に思う人へ、この本をご紹介したいと思います。

 

つまらない毎日の生活をおもしろがること。これがこのエッセイのテーマだ。なぜこのテーマを選んだかには一応理由がある。

人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。赤ちゃんとして生まれてから、やがて年老いて死ぬまで生活から逃れることはできない。誰だってそうだ。

どんなに浮世離れした人でも、ご飯を食べるし洗濯もする。トレイ掃除だってする。シャワーカーテンの下のほうから黴びてきて、新しいの買ってこなきゃなぁとか思う。  

どんなに頭のおかしい奴だって、一人暮らしならば家賃を払う。電気代を払う。水道代を払う。顔を洗う。 

全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのであある。

でも私は、生活というものがすごく苦手だ。

 

どんなに大勢の前で芝居をしても、演奏をして拍手をもらっても、一度家に帰ってひとりになるど、とてつもない虚無感が広がっているように感じたそうで。

生活が苦手な星野さんは仕事の予定を入れまくって、虚しさから逃れようとした。

そしてある日、過労で倒れてしまう。

「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょ。」 

過労で倒れたと聞いてかけつけたお母さんと星野さんの会話。

「過労? ……ああ。あんた、生活嫌いだからね」 

「え?」 

「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」  

 

なんだかわからんがその通りだ、と朦朧とした頭で思った。  

私は生活が嫌いだったのだ。

できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。

でも、そこで生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。

楽しそうに仕事をする裏側で、もう一人の自分はずっとあの小学生の頃のつまらない人間のままだったのである。

 

「毎日の地味な生活を大事にしない」これは自分にも思い当たることが。

大学時代、設計演習に明け暮れて毎晩のように大学の製図室に泊まり込んでいた。

特に締め切りが迫ってくると、食べたりお風呂に入ったり掃除をすることよりも、課題を仕上げることが何より重要で、

それ以外の「地味な生活」のことは、「数日やらなくても死にやしないじゃない」と軽んじていた。

 

社会人になってからも、

掃除・洗濯・料理といった「地味な生活」よりも、次の作品展に出すアイデアを出したり制作する方が重要だと考えていた。

ここでもやっぱり生活を軽んじていた。

それが積み重なって、ものだらけの掃除の行き届かない汚部屋で暮らすことになったのだけど。

 

でもいつまでも生活を軽んじることはできない。どこかで破綻する。

毎日ジャンクな食べ物を摂取しつづければ体調を崩すだろうし、ゴミだらけの汚部屋は不衛生で体に不調を来すだろうし、そんな部屋に長時間いるといつまでも心安らがなくて精神が危うくなったりする。

大事大事な制作やら仕事でパフォーマンスを上げるためには、環境を整えておく必要がある。

生活を軽んじては、結局仕事によくない影響を与えてしまう。

 

地味な生活を数日軽んじても死にやしないけれど、

いつまでも生活を軽んじ続けていては、いつか死ぬ。どっかしらが死ぬ。多分。

生きるなら生活は無視できないものなのだ。

 

ちょうど二年前(2014年10月)までのわたしの休日を振り返る。

汚部屋で家事を溜め込んでは、

「最低限これくらいの家事は終えてからじゃないと好きなことをやってはいけない気がする、人として。」そう思ってソファに座り込む。

でもあまりに膨大な家事を前に圧倒されて(溜め込んでるからね。まめにやっていれば、もしくはそんなにものを溜め込まなければ楽なのだけど。)

「家事に取り掛かりたくない、ひとまず横になろう。」

ソファで寝そべる。

 

そうして、家事が終わらないから結局やりたいことも取りかかれずに夕方を迎える、

本当に何もできずに1日が終わる、

そんな休日を過ごすことが度々あった。

たまにじゃなくて、度々。

 

なにかやりたいことがあるなら、生活を軽んじては本末転倒になるのだと思い知った。

家事を無視しても、いつかはやらないといけない。

家事をミニマムにさくっとやり終えて、本当にやりたいことにさっさと取り掛かるべきなのだ。

 

▶︎何もできずに悶々と過ごしていた辺りの話はこの本でも触れています。

 

生活にはおもしろさが潜んでいるんだ。知らないだけで。

まずはトイレ掃除から始めてみた。

気分が盛り上がったので、次はキッチンの換気扇を掃除してみた。

 

本腰入れて掃除を始めて、その行為自体に面白さを見つけた。

ベトベトしていてその場にいるのが不安だったのに、掃除することでピカピカになって、触れても嫌な気分にならなくなった。

自分が安心して身を置ける陣地がどんどん増やしていける、それが掃除だと知った。

「地味な生活」にも、おもしろさは潜んでいたのだ。

 

掃除しやすくするために、まずはものを減らそうと思った。

家の中にいらないガラクタばかり溜め込んでいることが、急に息苦しくなったのだ。

「身軽になりたい」そう思って、ずーっと先延ばしにしてきた断捨離作業を開始した。

あんなに避けてきたのに、いざ断捨離してみたら活力がみなぎってきた。

要・不要を判断してものを捨てたら、ぽっかりとスペースが空いて気持ちが軽くなった。

断捨離にもおもしろさが潜んでいた。

 

たぶん、こんな風に、生活にはおもしろさが潜んでいるんだ。知らないだけで。

 

そんなわけで生活をおもしろがりたい。

 

ただ無理矢理生活に向き合うだけじゃすぐに飽きて同じ失敗をしかねない。

むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活をすることができるはずだ。

 

「むやみに頑張るのではなく、地味な部分を見つめつつその中におもしろさを見出したい」というのがいいなと思う。

真面目に取り組んでも息が詰まってしまう。

どうせやるならおもしろがりたいと思う。

 

掃除と断捨離のおもしろさの片鱗は見つけることができたけれど、

料理・洗濯・洗い物のおもしろさはまだしっぽが見えている程度。

しっぽを引っぱり出してその本体を捕まえて、そのおもしろさを味わいたいなーと思うのでした。

 

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