脳内で、神聖かまってちゃんの「いかれたNEET」がリピート再生されている。
phaさんの『ニートの歩き方』を読んだからかな。
- phaさんの存在を知ったのは、つい最近こんな記事を見たことがきっかけ
- 適性のあることをやって生きたい
- シェアハウスっていいな
- 今、わたしは人と繋がりたいんだなと思った
- 時代と社会の空気を読んでニートは生まれる、のかも
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2012/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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phaさんの存在を知ったのは、つい最近こんな記事を見たことがきっかけ
今の僕は京都を遠く離れて東京に住んでいるけれど、東京には何故鴨川がないのだろうと不満に思う。京都の鴨川は、町中の歩いてすぐに行ける距離にあって、そこに行けば水や草や鳥や開けた景色や自由に座れるベンチがあるという、無料でいくらでも過ごせて何でもできる貴重な空間だった。
あの頃は全てが鴨川の河原で行われていた。散歩をするのも日光浴をするのも、花見をするのも花火をするのも、女の子と初めて手を繋ぐのも初めてキスをするのも、そして別れ話をするのも、全部鴨川だった。今でも鴨川の河原を歩くと、100メートル置きくらいに何らかの思い出が埋まっていて蘇ってくる記憶に足を取られて進めなくなるので非常に危険だ。
京都の魅力の大きな部分として「鴨川があること」が挙げられると思う。
京都市内に住んだことのある人なら実感があると思うのだけど、あらゆる大事な場面の舞台は鴨川だった。
友人が告白したりされたりした場所は鴨川だった、という話をどれほど聞いたことか。
ライフイベントは全て鴨川で起きていたんじゃないかと思うくらい、暮らしに密接していた。
自由にふらりと立ち寄れて、何時間でもぼーっとしていられる場所。
一人でも二人でも何十人でも受け入れてくれる懐の深さ。
どの街にもこんな場所があれば、もっと生きやすいのにな。
どうして今住んでいる街には鴨川がないのだろう?つい、そう思ってしまう。
フィッシュマンズは鴨川を歩いていた思い出と結びついている。
フィッシュマンズを聴くたびに、音楽を聴きながらふらふらと鴨川を歩いていた時の気分を思い出す。
フィッシュマンズを教えてくれたのは今はもう死んでしまった大学の友人だった。
僕がフィッシュマンズを知ったときには既にボーカルの佐藤伸治はジョン・レノンと同じように故人になっていてバンドも活動停止をしていたけれど、
ボーカルの若年での死という事実と夕闇の中でゆらゆらと浮遊し続けるような音楽性が相まって、彼らの音楽は僕をこの生きづらい現実から抜け出させてどこか遠い彼岸へ連れて行ってくれるような気がしたのだった。
フィッシュマンズを聞いていると、どこか遠くへふっと連れて行ってくれるような気がする。
夜に呑みながらフィッシュマンズを流していると、
自分の居る部屋が水槽みたいに思えてきて、自分は水槽に沈んでいる魚になったような気がしてくる。
鴨川がないことを嘆き、フィッシュマンズを延々聞いているというphaさんに惹かれて、
この方が書く文章をもっと読みたいなと思って手に取ったのがこの本だった。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
適性のあることをやって生きたい
phaさんは、長時間人と接することや毎日同じ時間に起きて出勤し、同じ場所で長時間過ごすことが苦痛だったそう。数年勤めた会社を辞めてニートになった。
僕が苦手で仕方がなくてすごく頑張ってこなしていることを、他の人は特にハードルだとも感じずに毎日を過ごしているのだ。そんな条件で戦っていても勝てっこない。この場所にいる限り僕は永久に苦痛を感じながら、他の人に比べて仕事ができない劣等生でいるしかない。そう思ったのが仕事を辞めた大きな理由の一つだ。p136
わたしは長時間机に座って授業を受けるその時間は結構好きだった。
とは言っても、授業中は絵を描いたり妄想したり差し込む光を眺めたり昼寝したり、のんびり過ごしていたのだけど。
「千と千尋の神隠し」を観てから、労働って大変なんだな、社会人になるの怖いな、と思っていた。
学校に通ううちは働かなくてよくて、守られている感じがした。
暖かい部屋で座っていれば穏やかに時が過ぎて行って、友人と話したり日の光を浴びたり、それだけで結構楽しかった。
そんな学校生活を送ってきたので、学校や会社など同じ場所に毎日通うことがこれほど苦痛に感じてしまう人がいるのかと驚いた。
自分は学校に通うことはたまたま苦痛じゃなかったけど、苦痛に思う分野はある。
それを自分の仕事として選んでしまうと生きるのが辛くなる。
自分に向いていない場所で我慢して仕事をしたとしても、自分自身もつらいし、周りの同僚や上司もイライラするし、仕事も進まないし、お客さんも不幸になる。全く誰も得をしない。それならば、もう少し自分が無理なくいられる場所を探したほうがいい。p135
このことについて、同じようなことを思ったことがある。向き不向きってあるのだ。
わたしはつくる仕事と売る仕事と制作物をこさえる仕事をしたことがあるのだけど、つくる仕事が破滅的に向いてなかった。
次に何をしていいのかさっぱりわからない。
何度聞いても工程に不安がある。大事なことを忘れてしまう。
空気が読めなくて動けなくて、しまいには慌てふためいて怪我をする。
置かれた場所では咲こうにも咲けません、という状態だった。
向いてない場所にいると自分もみじめだし周りにも迷惑をかけるしお客さんにとってもいいことがない。
その後、職種が変わってからは「ああ、向いてる。これは苦痛じゃない。楽しくやれるやつだ。」と思った。
好きだけじゃなくて、適性がないと仕事は続かないと思った。「つくる」のままでいたら何年も勤められなかったと思う。
人間の世界のことで100%というものはあり得ない。義務教育は全ての国民が受けるために作られているものだけど、どうしても何%か義務教育に適応できない性質の人間は生まれてくる。会社に適応できない人も同じだ。それはもうそういうものなので、仕方がない。頑張って一般に合わせようとしても無理だ。かと言って、じゃあそういう人間は死ねばいいのかって言うともちろんそんなことはなくて、周りから変人だと思われることを気にせず自分なりの独自の生き方を切り開いていくしかないのだ。p137
「周りから変人だと思われることを気にせず自分なりの独自の行き方を切り開いていくしかないのだ」
この言葉に勇気付けられる。
シェアハウスっていいな
phaさんは、ギークハウスというシェアハウスを作って共同生活をしている。
遡ると、大学時代に寮生活をしたことが大きかったそうだ。
その寮は本当に汚くてボロくてゴミだらけでクズだらけでまるで腐った沼のような掃き溜めだたんだけど、そんなダメ人間の吹き溜まりが僕にとってはすごく居心地が良かったのだ。
京大の吉田寮の食堂で演劇などを披露するイベントがあって、
その時に初めて寮の敷地内に立ち入り、
「ここは何てところだ」と惹きつけられた。
玄関入ってすぐのところにコタツが置いてあって、何をするでもなくぼーっとしている人がいたり、どう見ても不用品にしか見えないものが積み上がっていたり。
その後も、紅葉の時期になると吉田寮の駐輪場にイチョウを見に通うようになった。
素敵にイカれた寮だと思った。
僕はもともと人付き合いが得意ではなくて、変にプライドが高いせいで他人に会おうとか遊ぼうとか声をかけるのも苦手なので孤独になりがちだったんだけど、寮だと誘わなくても自然にいつも誰かがいるし、無理して喋らなくても麻雀の卓を囲んでポンとかロンとか言っていればなんとなく輪の中に入ることができた。僕はあの寮で生まれて初めて他人と遊んでいて楽しいと思ったような気がする。p112
シェアハウスだと自分では買わないような本に出会ったり、自分からは聴かないような音楽の良さに気づいたりとか、そういう刺激があるのも魅力的だ。p115
シェアハウスだと、誰かに声をかけたり誘ったりしなくてもなんとなく人がいる状態が常にある。
気が向けば喋ったりもするけれど、別に頑張ってコミュニケーションしなくてもいい。
リビングで黙って一人でネットをしていたりマンガを読んだりしていてもいいし、疲れたり一人になりたくなったりしたらいつでもすぐに自分の部屋に帰れる。
だいたい僕は昔から「人が集まっている場所でちょっと離れたところからそれを眺めている」みたいなポジションが好きなので、シェアハウスの距離感がちょうど居心地が良いのだと思う。
p118
上の文章を読んで思い出したことがある。
大学時代の大半の時間を過ごした製図室のことだ。
週に一度のエスキスチェックや月に一度の演習課題の提出前には連日徹夜してそこで過ごした。
そこにはいつでも誰かがいて、
話したい時には話すし、集中したくなったらすっと黙って自分の作業に意識を移す。
ずらっと並んだmacのiTunesに、過去に在籍した諸先輩方が残していった音楽データが入っていて、それがランダムに流れる。
「これ、なんて人の曲?」なんて言って、自分一人では出会わなかったであろう音楽に出会えた。クラムボンもフィッシュマンズもそんな風にして知ったっけな。
頑張って誘ったりしなくてもいつもそこには人がいて、
ちょっと散歩行こうとか、課題提出したらあそこ行こうとか、今日の晩御飯はカレーうどん食べに行こうとか、
自然にゆるく誘い合う言葉が飛び交っていて、退屈することがなかったな。あの絶妙な距離感が心地よかった。
わたしは、こんな働き方ができたらなと思う夢がある。
それは「製図室的な働き方がしたい」ということ。
何かの場面でチームを組むけど、基本はそれぞれが自分の仕事を持っている。
同じ空間でそれぞれが何かに取り組んでいる。
ご飯を共にして、たまに話したり。
そこには常に誰かがいる。
そんなつながり方をして、働きたいなと思っている。
phaさんの寮の思い出やシェアハウスの様子は、製図室での体験を思い出させる。
いつも誰かがいて、ゆるく繋がるコミュニケーションがある。
そんな場所で暮らしたい、働きたい、過ごしたいなと思った。
今、わたしは人と繋がりたいんだなと思った
初めて読む人にはデビュー作の『プレーンソング』(中公文庫)をお勧めしたい。(中略)シェアハウスというわけではないんだけどちょっと広めの2DKの家に一人で住んでいる主人公のところにいろんな友達がやってきて泊まっていったり一緒に遊んだりするという話で、僕がシェアハウスをやろうと思ったきっかけの一つでもある。家の広さは重要だ。家の広さに余裕があれば、友達も遊びに来やすいし、宿のない人を泊めたりもできるので、自然と人が集まってくるのだ。人間関係は物理的空間の広さに左右されたりする。p127
そういえば、前の一軒家に住んでいることは自宅でよくホームパーティーと言ったら良いのか、飲み会会場になっていたっけ。
ふたり暮らしでは持て余すくらい広かった。10人くらい招いてよく飲んだっけ。街中に住んでいたというのもあるのだけど。
今の家に引っ越してからは来客がぐっと減ってしまった。
飲んだ後に歩いて立ち寄れる距離でなくなったことも大きいのだけど、スペースが小さくなったことにも起因している気がする。
片付けは面倒だったけど、人が集まる場所として機能していることは楽しかった。
今、わたしは人と繋がりたいんだなと思った。
多分、人生で大切なことって保坂和志の小説のような何でもない日常の時間で、大げさな夢や理想や波乱万丈なんて別に必要なくて、天気の良い日に散歩したり猫と遊んだりゆっくりごはんを食べたりする時間こそが美しくて大事なものなんじゃないかと思う。p127
こんな時間を過ごしたい。
時代と社会の空気を読んでニートは生まれる、のかも
人間の中にはいつでも一定の「働きたい」という気持ちと「働きたくない」という矛盾した気持ちが両方あるし、それは自然なことだ。一人の人間の中に「働きたい」と「働きたくない」という矛盾した気持ちが同居するのと同じように、一つの社会の中にも両方のタイプの人間が存在するのだ、と僕は考えている。その時代の社会全体を覆っている労働に対する空気や雰囲気のようなものがあって、その空気を構成している内容に対した割合で、一定の労働者と一定のニートが毎年生産されるのだ。
p251
人間全体が生命体のようなもので、人間一人ひとりは体をつくる細胞の一つ一つ。そんな考え方。
戦後の食べるものもなく人も減っている状況で、働ける若者がニートになったりしただろうか?
日本の国に住む人間の遺伝子が途絶えるかも、まずい。
そういう状況ではニートってほとんどいなかったんじゃないだろうか。想像だけど。
時代と社会の空気を読んでニートという存在は生まれる。そんな気がする。
読んでいてワクワクする本って好きだ。
この本を読んでいて、自分の欲求とか興味を持ってる事柄について気づくことができた。
ああ、自分は人と繋がりたいと思い始めてるんだなとか。
そこかは派生して「ゲストハウス」というものにも興味が芽生えたりして、A1理論さんのブログを熟読してみたり。
▶︎僕が考える『国内旅行をめっちゃ楽しむ7つの方法』 - A1理論はミニマリスト
まずは、住んでいる近辺のゲストハウスにふらり立ち寄ってみようかな、と思う。
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