年末になると毎年考えることがあります。
それは、「誰宛でも代替可能な内容の年賀状って、郵送してやりとりする必要あるのだろうか?」ということ。
ちなみに、今日の記事は全ての文章のあとに(個人の意見です。)という一文を補足して読んでいただけたらと思います。

誰宛でも代替可能な内容の年賀状、データでのやりとりでもいいのでは

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私は、絵が印刷してあって誰宛でも代替可能な内容の年賀状を、郵送でやりとりする必要はないんじゃないかなと考えています。
個人的なメッセージがあったり、その本人や家族の写真があるなら、近況報告という役割を果たしています。元気だなとか、老けたなとか、子供が大きくなったなと思います。
でも、年賀状作成ソフトの絵がプリントしてあって、一言「よろしく」とだけ書いてある年賀状って、果たして郵送する必要はあるのだろうか。
ましてやその一文が印刷してあったら、なんのために年賀はがき代を出して年賀状を送り合っているのだろう。
もうデータでのやりとりでもいいのではないだろうか。
誰に宛てても代替可能な内容のものなら、 その画像を紙に印刷せずにメールで送る、という形でもいいのではないだろうか?と思います。
(もちろんその人とその人の関係性や状況によって例外はあると思います。個人の意見です。)

お互いの考えをできる範囲で尊重したい。

年賀状のやりとりをしたいという人はしたらいいと思います。その考えを尊重したいと思っています。
なので来た分には返しますが、自分からは出しません。 
「年賀状を出したい」という向こうの意向と、「年賀状をやりとりしたい人には合わせるけれど来た分しか返さない」という私の主義、双方を尊重するためにそういう選択をしています。

年賀状を送るってとても手間がかかることですよね。 住所録を管理し、喪中の方がいないか事前に確認し、年賀状ソフトを買って作成したり、自分で絵を描いたりして、プリントしてから手書きでコメントを書く。ものすごく膨大な時間を要します。
それがつらいから年末にかけて気が重くなる人がいるなら、それをやめたっていいと思うのです。

そして、印刷にかける膨大な時間の分、個人に向けたメッセージを書いてLINEやメールでやりとりしたいなと思うので、私はそうしています。

あなたは森で、わたしはタタラ場で生きよう。

私が知らないだけで年賀状をやりとりしないと始まらない関係性というものがあるのかもしれない。
そういう業界や世界があるのかもしれない。

では視点を世界に広げてみたらどうだろう。
もし仮に、自分の子供が国際結婚したとして、国も文化も違う相手のご両親に「紙の年賀状を送ってこないなんて」と憤慨したりするだろうか。多分しないだろう。
メールで新年の挨拶を送りあえばいいという考えに至るかもしれない。
それぞれの文化や考え方があるから、お互いの意思を尊重し合おうと思うのではないだろうか。

「サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう」の精神で、
お互いの主義を尊重できる範囲で折り合いをつけていけたらいいと思います。

▶︎暮らしの見直し
おわり。


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