花を買った。

花を買って帰る道すがら、どうしてこんなに嬉しくなるのだろうと思った。
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仕事が落ち着いたので、久しぶりに一生懸命掃除した。 せっかくならお花があると素敵かもしれないと思って、スーパーの帰りに花屋に寄った。
クラフト紙で簡易的に包まれたお花を持って歩く時、とてつもない高揚感を感じる。これはいつもそうだった。
花屋で花を買って帰る、それがどうしてこんなに幸福な気持ちにさせてくれるのだろう。

花がなくても生命維持に差し障りがない

思うに、「花を飾ること」って暮らしの中での「しなければならないこと」として優先順位がとても低いと思う。 というか別に飾らなくても生活は回る。
片付け、床掃除、洗濯、ゴミ出し、食事の用意、これらのことは生命維持に関わる。
まあ片付けと掃除はぎりぎりしなくてもしばらくは生活可能だけれども、ずっとしないわけにはいかない。自宅が職場なので、ここが散らかっていると集中が続かないので、全ての作業に差し障りが出てくる。仕事によってお金を得て食べていけてると考えると、やっぱり環境を整えるという片付けと掃除も生命維持に関わってくると言えるかもしれない。

けれど花を飾ることは、してもしなくても生命維持にちっとも関わってこない。

あってもなくてもいいことをするというのがゆとりなのかも

実際、前回お花を飾ったのは11月が最後だったと記憶している。
そうか、原稿が忙しくなる直前だ。 心の余裕がなくなると花を飾る習慣はぱたっと途切れてしまうのだ。

つまり、この高揚感のキモはここにあると思う。
花を買おうと思うということは、生活に余裕がある。
締め切りに追われて「帰ったら〇〇と〇〇を何時までにやって…ああ眠るまでに今日のノルマを終えられるだろうか…」と考えている時に、花屋に寄ろうとは思いつきもしない。
忙しくなると作業に夢中になって1食抜いてしまうこともしばしばあるけれど、花の水を替える前に自分に食事を与えた方がいい。


花を買って帰るということは、暮らしと心に余裕があるということなのだ。
だから、花を買って帰る時はわくわくする。
自分の生活は「丁寧な暮らし」とは程遠いと思っているけれど、花を買って飾る時はちょっとばかし丁寧な感じがする。 自分を労っている感じがする。

花の値段は500円にも満たない。
でも得られる幸福感はその10倍くらいある気がしている。
花を飾ると、それに見合う環境を用意してあげたくなって、綺麗な部屋を維持しようとして掃除がはかどるなとも思う。

花を買って帰る高揚感について考えてみました。
おわり。

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