フィッシュマンズの音楽を聴くとき、一ミリも無理をしなくていいところが好きだ。

10年毎晩包まっているとびきり触り心地のいい毛布みたいな感じ。
体にぴったりフィットして、何一つ無理する部分がない。
顔に当たるやわらかな毛並みも、足先から体の全てをすっぽりと包み込む暖かさも、全部が適切。
心地よくて、例えば記憶なんかないけど羊水に浮かんでいる赤ん坊の頃みたいにしっくりくる。そういう音楽だと思う。
何かを愛していると表明するときに、他のものを引き合いに出して他を下げてから好きなものがどれだけ素晴らしいか書くのって見かけるたびにウエッとげんなりするのだけれど、でも今回は致し方なく他と比べるけど、私個人に限って言えば他のどんな音楽を聴いてもここまで全てが自分にしっくりくることってなくて、どこかしら無理して「この場に合わせなければ。合わせて乗らなければ。楽しまなければ」と思ってしまう場面がある。 フィッシュマンズを聞いているときってそれがなくて、どこもかしこもしっくりくる。好きなものだけ混ぜた液体に体を丸めて浮かんでいるみたいな心地になる。
そういうものに出会えたことがすごいなと思う。
こんな風に何かを好きになれるということ、それ自体がものすごい確率なのではないかと思う。

闘魂2019

そんなフィッシュマンズの闘魂というイベントが20年ぶりに催された。
ちなみに20年前は私は10歳でして、さすがにそんなサイケな小学生ではなかったのでもちろん現地に足を運んでいません。生まれて初めての闘魂。
フィッシュマンズの生音を聞くのは、2013年のso many tearsで数曲演奏されたフィッシュマンズ、それから2016年のフィッシュマンズツアーの名古屋公演ぶりです。昨年の音泉魂に行こうとして台風が直撃して行けなくて、推しには会えるだけ会いに行こうと固く誓ったアカウントがこちらです。

プロレスと猪木を愛好するサトちゃん、ゆえに闘魂。闘魂2019はceroとの対バンです。
ceroは現在新譜を作り出している現存するグループの中でもっとも好きです。とびきり素敵な対バンで頭パーンです。
ceroの曲でフィッシュマンズの歌詞引用されていて『スマイル』という曲で”笑いを忘れた恋人たちには…”と『100ミリちょっとの』の歌詞が引用されているのだ。
セロ弾きのゴーシュから名前をとっていたり、2ndアルバムのタイトルが『マイロストシティー』だったり(スコット・フィッツジェラルドですね)彼らの文学的感覚で、短編小説をつなぎ合わせて一冊の本を紡ぐようにして作られるアルバムが好きで、2012年くらいからずっと好ましく思ってゆるやかに追いかけています。

セットリスト

これからここに綴るのは、頭の中にあるもわもわとした記憶が溢れて薄まって取り出せなくなる前に、とにかく吐き出しておこうというライブレポとも呼べないくらいのライブ鑑賞記録です。

はじめにceroが演奏してからフィッシュマンズパート。

あの娘が眠ってる
ーーーー初期フィッシュマンズーーーーー
Oh Slime
ナイトクルージング
なんてったの
土曜日の夜
頼りない天使
ひこうき
Smilin’Days,Summer Holiday
ゆらめきIN THE AIR
いかれたbaby
Just Thing
Weather Report

ちなみに全編通して記憶が曖昧で、誰が歌ってたかきちんと覚えてないです。(コーラスで絡まり合ってたし、頭真っ白だして…)覚えている人がいたら教えてください。

フィッシュマンズパート全曲感想

あの娘が眠ってる
オジケンがアコースティックギターを持って参戦、初期フィッシュマンズ。
これをはじめにもってくるのナイスだと思いました。 


Oh Slime
音楽に乗せていつものメンバー紹介。名刺みたいな曲があるって素敵だよね。
そこで「バイオリン、HONZI!」ときてぶわっと泣いた。
そして「サトウ!」「シャトー!」「サトウ!」「シャトー!」でまた泣いた。膝が震えた。 こんなに膝が震えて私は一体最後まで膝の屈伸運動(ぎこちなく音に体を揺らす)できるんだろうか?と心配になった。 



ナイトクルージング
そしてナイトクルージング。本当に素晴らしいものがどんな具合に素晴らしいかって、もう言葉では言い表せないですよね。とにかくすさまじくよかった。 夢の中のようだった。
こういう時間が永遠に続けばいいのに、こういう音楽にいつまでも身を浸していたいのに終わっていってしまうことが悲しいと思った。ツアーがあれば全部回ったのに。何時間かかってもどこで公演しようとも、何度でも通ったのに。それでも足りないけど。
人生でとびきり素晴らしい時間がフォッシュマンズの音楽にたゆたっている時だってわかっているのに、それが人生を占める時間のうちほんの数時間しかないことを悲しく思う。
欣ちゃんはずっと前からそれが一番素敵な時間だって知っていたろうにって思うと、それをずっと響かせていられないことについてまた勝手に悲しくなった。 


なんてったの
やっぱりとびきり素敵だよなぁ。
古い家の窓から茜さす夕暮れ時、揺り椅子があって、みたいな映像をイメージする。
イントロを聞きながら「誰が歌うんだろう?永積タカシさんの声にぴったりな気がする」と思ったけれど、やっぱり彼の声にぴったり合っていた。 


土曜日の夜
欣ちゃんが歌ってた。めっちゃかっこいいよな。この曲を聴けばたとえ火曜日の夜だろうと週の半ばで週末までまだまだ半分の山も越えてなかろうと、すぐさま土曜日の夜になるのだ。
ところでサトちゃんの声はとりもなおさず楽器であり、音楽を構成する音のひとつだったんだなと思った。

頼りない天使
原田郁子が歌った。
彼女はふんわりとした白いシャツワンピのようなものに黒のゆったりとしたパンツを履いていて、彼女が舞うと服の裾からふわりと空気が入り込み、そこに天からの光が差して透過光が服の裾の中を充満していて、
ああ、多分天使はこういうところに宿るんだろうなと思った。

あの子は僕に言うさ 天使は今来ますって
本当さ ウソじゃないんだよ
未来はねえ 明るいって
あの娘の信じた確かな気持ちは 
きっと僕を変えるだろう
なんて素敵な話だろう こんな確かなことが 今もそばにあるなんて

出典 佐藤伸治『頼りない天使』

なんだろう、本当に美しかった。
切なさを孕んだ美しさで、それは教会の天井に描かれた絵とか、そういう神聖さがあった。
神様を信じている子供の幼気な願い事みたいに透明な言葉で、天使は一生来なさそうで、どうしようもない気持ちになる。
さみしいことはきれいなんだなと思った。


ひこうき
その流れでのひこうきはとんでもなかった。
この曲を欣ちゃんが歌うのがまたぐっときて、2019年にできる全ての体験の中で一番素敵なものなんじゃないかと思った。
ああ、やっぱり、無人島にたった一曲を持っていくならこの曲だなって思った。

間奏でギターが入るところ、小暮さんが弾いてたんだけど、始まりが男達の別れ仕様になっていて、泣いてしまった。
男達の別れのサトちゃんのギターを聞いたことがなければ、どうか一度でいいから聞いてほしい。できればライブ映像とともに。楽器で涙を流してるみたいで、泣き叫ぶみたいに張り詰めている。
本当に男達は別れて、これでおしまいで、さよなら終わりたくないさよならって叫んでるみたいな切実さがある。
でもこの日の演奏は、それをそのままなぞらえるのではなくて、最後には新しいアレンジになっていて、ああいまは2019年なんだって思った。
時間は流れて、あれから20年経っていて、どうしようもなく2019年で、それが素敵だと思った。

欣ちゃんが歌い、原田郁子と永積タカシさんが歌い、本当に、ハッピーエンドの映画のエンドロールみたいにあたたかくて優しくて綺麗だった。
男達の別れのひこうきは今にも泣き出してしまいそうなくらい悲しい、張り詰めている、という印象だったので、驚いた。同じ曲だと思えないくらい明るく感じられた。
誰かがつぶやいていたけれど「男達の再会」を見ているようだったと書かれていて、ああそれだと思った。 男達が再会してるから明るいのかな。

Smilin’Days,Summer Holiday
「子犬と子供よくわかる仲間あの外人みたいな髪型できっと同じこと考えてるぜ」って原田郁子が歌うのぴったりすぎた。

MELODY
欣ちゃんが歌って原田郁子と永積タカシが合いの手入れてた。
あと2時間だけ夢を見させて 埃と光のすごいご馳走

出典 佐藤伸治『MELODY』
ってやっぱりずば抜けて美しい言葉だよなあ 


ゆらめきIN THE AIR
この曲始まる時、ひゅーって音を聞くと「すばらしくNICE CHOICE」と「ゆらめき…」どっちだ?ってなります。毎回。大抵ゆらめきなんですけど。
それで、どっちどっちって思いながらぽんぽんぽんと音がなり、ゆらめきかぁと思いながらイントロを聴いて揺れていた。 

人は死んだら水素と酸素と炭素とかその他になるけれど、だから死んだ人はごく自然に大気中に混ざっている、ごく自然にまわりにいると思っていて、だからサトちゃんもHONZIもごく自然にこの場所にもいるんだろうなって思ってた。
そんなことを思いながら、目を開けたり閉じたりして、上空の水蒸気のような白いもやを見ていた。そこに青い光が当たって綺麗だなと。
そしてふっと視線を下に移した時、ドラムセットの一番大きな太鼓の前に、人が座っているのが見えたような気がした。
そこに座り込んで客席を見ているような気がしたのだ。
二度見したらそこに人はいなくて、見間違いだった。 

IMG_8077
(こんな風に見えた気がした。忘れないうちに描いた。)

なんでそんなこと?願望が見せた幻影?なんて思っていたら高くてゆるゆると揺れる声が上空から響き始めた。
誰?誰が歌ってる?原田郁子?いや違う。欣ちゃん?いや歌ってない。あれ、誰もいない?あれ、これ、サトちゃん????
男達の別れのライブのサトちゃんの声を流したんだね。

ドラムセットの前に座る人を見間違いしたあとだったから驚いてしまった。

 途中で原田郁子と欣ちゃんで合いの手コーラスを入れていた。その時に、中央左手のマイクスタンドを1つ置いて、誰が立つわけでもなくその空間を空けているようだった。そこにいる誰かのためにそうしているみたいな立ち位置だった。
けれどわたしはどうにも、サトちゃんはドラムセットの前で座ってにっと笑いながらあたりをのんびり見回しているんじゃないだろうか、そんなことを思ったのだった。

(ちなみに一切霊感はないし見間違いだと思うのであしからず)


いかれたbaby
欣ちゃんが「フィッシュマンズの代表曲!いかれたbaby!」と言って始まった。
2016年は男達の別れ仕様だったけれど、今回はもっと明るくて。本当に今日って男達の再会だったんだなと思った。 



Just Thing
そしてceroを迎えてJust Thing
まさか、まさかこの曲を聴けるとは思わなかった。
ブログにも書いたけど、
くたばる前にそっと消えようね あきあきする前に帰ろうね

出典 佐藤伸治『Just Thing』
なんて歌っていたからその通りになったんじゃないかって思っていた。その曲を聴けるとは。 


フィッシュマンズが高城くんと演りたい曲と、高城くんの歌いたい曲が見事に一致してこの曲になったらしい。
私、本当にこの曲のライブ版が好きで。好きで好きで好きで。あのかっこいいPV何回も見たし、あのアレンジを超えるものあるんだろうかと思っていたらあったのだ。 With cero仕様で、ちょっとゆっくりペースのジャジーな雰囲気(?)になっていて、びっくりするぐらいかっこよかった。私はこの曲が今日の全ての曲の中で一番かっこよかったと思う。音楽別に詳しくないので、めちゃくちゃ最高の曲の中でいっとうかっこいいと思ったって話。 


ceroの高城くんがフルートを吹いた時、サトちゃんの姿を重ねてしまって息が止まった。
トランペット持って(あまりうまくなかったように思う)曲の合間に吹いてたじゃないですか。それ思い出して、口を開けてぼうっと眺めていた。彼の姿を。
びっくりするぐらい綺麗な光景だったな。

ところで高城くんが「ぼくらはフィッシュマンズ後追いなんですけど」と言ってたけど、後追いとかそうでないとか全然関係ないんだ。何も気後れする必要がない。
生まれた年代によって、どうあがいても当時の彼らを見られなかったのはしょうがないのだ。
あの頃彼らが作った音楽が、時を超えて一ミリも古くならずに今も新鮮なままで今を生きる人間の心にそのままストレートに響いてるってことが大事で、だからこそ後からフィッシュマンズの音楽に出会った人全てが胸を張って自信持って「フィッシュマンズが好き!」って言っていてほしい。
だって、それって欣ちゃんとっても喜ぶと思いませんか?
フィッシュマンズに関わっている全ての人が、本当にやっぱり自分たちの作った音楽って最高なんだな、今も最高なんだな、今も響いてるんだなって思えると思いませんか?
だから100万回繰り返してるけど言います。フィッシュマンズが好き。生み出してくださってありがとうございます。

Weather Report
高城くんが歌うのにぴったりだと思った。歌うように詠みあげるポエトリーリーディングっていうのか、サトちゃんよりもっとずっと歌うような声色だったのがまた素敵だった。
フィッシュマンズの歌詞って、東京で生まれて東京で育ち東京から出ることなく死んでいった男の歌って感じがして好きだ。(ご実家どこか知りませんが、歌詞から受ける印象の話)

「らーららららー」と最後にみんなで繰り返すところ、ああこの幸福な時間は本当に終わってしまうんだなと思った。
こんなに幸福なのに、永遠でないのはなぜ?と思う。
あまりに完璧な幕引きだったから、アンコールがないのは明白だと思った。 この曲が終わったあとに『夜の想い』が流れて、そこでアンコールを求める激しい拍手ができるだろうか?できないよね。
まるで棺が運び出される葬送の曲みたいだと思った。

そしてラストに『wedding baby』である。
すごいなぁ、本当にチョイスがすごい。この曲をふと聞いてしまうと涙が出るけど、みんなが幸福そうに笑って生きていたんだなと、そういう姿がありありと目に浮かぶし、それがもう失われていると瞬時に気づいてしまうから。
この箱から出たくなかった。
いつまでもフィッシュマンズの中で過ごしたかった。
今日ここにいる人たち(特に最前列近辺でI’m FISH Tシャツ着てた人たち)って、葬式でフィッシュマンズ流しそうで、そこがすごくいいなと思った。いや知らんけど。
今夜フィッシュマンズの音に涙を流していた全ての人と友達になりたい。

あなたの言葉が隕石みたいに心にめり込んだ



もし人生がカセットテープみたいに巻き戻しができるなら、この日のライブの時間だけをあと15回くらい繰り返して、それから未来に戻りたい。
15回くらい繰り返したら、そろそろ自分の人生するかって思える気がしたので。

 しみじみ思うのは、欣ちゃんがフィッシュマンズでよかったなということ。
大学で、サトちゃんが組んだ相手が欣ちゃんでよかったなと思うのだ。彼らが同じ年代に生まれ、同じ場所に引き合わされたことに感謝する。
こんなにフィッシュマンズを、サトちゃんの作った音楽を愛して、愛し続けてくれる。丁寧に大事に水をやり続けてくれる。そういう人がフィッシュマンズでよかった。
だから我々は2019年の冬にフィッシュマンズの生音を聴けるのだ。
ありがとう。

人は、他人の人生の中にある物語を勝手に読み取って勝手に感動したり悲しんだりしてしまう生き物だ。ワイドショーとかそうだよね。本人の心のうちも知らないのに、その人の経歴や背景に勝手に物語を生み出して消費してしまう。そういう浅ましさに反吐がでる、という気持ちもありながら、やっぱり私も物語を愛してしまう。
前にも欣ちゃんを見るとバウムクーヘンエンドの物語を見たときのように胸がくっと狭くなると書いたけれど、やっぱり残された人間の物語を、どういう感情をもって生きてきたのだろう、生きていくのだろうということを考えてしまう。

そしてライブの合間、欣ちゃんはこう言った。
「素敵なものをもらった人生だったので、これからも鳴らしていきます。鳴らし続けます。」

とびきり心に突き刺さった。ほとんどめり込むみたいに。
すごい速度で心臓めがけて飛び込んできた隕石の欠片みたいに。

「素敵なものをもらった人生だったので」
その言葉は、多分一生忘れずに、折につけ取り出して思い出す宝物みたいなものになるだろう。


ああ、推せる。一生推せる。一生愛してる。
本当に、あなた方の幸福を祈る。来世まで。
このライブの間中、何度も祈った。手を合わせた。
どうかこの人たちが、幸福でずっと健康で天寿を全うできますように。
できうる限り、フィッシュマンズを響かせてくれますように。

自力でどうにもできないものに対して祈るとき、人は徳を積むしかない。
それくらいしかできることがない。
ああ、私はこの先死ぬまでずっと彼らの幸福を祈ってトイレを磨き続けるだろうと思った。 



素晴らしい時間をありがとうございました。

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2016年のフィッシュマンズツアーレポです。
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