ずっと行きたかった場所に行きました。
フィッシュマンズの佐藤伸治さんのお墓に行きました。
家を出た時は頭上は雲が敷き詰められて灰色だったのに、霊園に着く頃には雲ひとつない青空で、飛行場が近いからかひっきりなしに飛行機が飛んで、小高い丘の上の原っぱに墓跡があって、
こんなに明るいお墓があるんだなぁと思いました。
佐藤さんはフィッシュマンズのボーカルで、1999年3月15日に心不全で33歳で亡くなられました。
出会った時にはすでに亡くなっていましたが、私にとって今までも多分これからも、この人たちの作った曲が人生で一番好きな音楽であり続けるんだろうなという確信に近いものがあった。
彼らの音楽に出会ってから10年経つが、
ふと思い立っては佐藤伸治さん(以後サトちゃんと書かせていただきます)のお墓参りに行ったファンのブログを読んでは、いつか行ってみたいなと思っていた。
昨晩はお酒を飲んでいたこともあってか、夫と二人で車に乗って、私は助手席に座って、窓の外では高速道路の景色が流れていって、芝生の上のお墓にたどり着くようなイメージが頭の中に繰り返し浮かんだ。
ミナペルホネンの展示に行った日の日記にも書いたけれど、人間(もワニも)いつ死ぬかわからないなという思いが強くなっていて、
いつかなんて先延ばしにせずに今行ってきた方がいいのではないかと思った。
朝起きた瞬間に夫にお墓参りに行かないかと誘った。
その場でレンタカーを予約して、千葉のど真ん中にある霊園への旅が始まった。
道中サービスエリアのトイレに入ると、花が生けられていて、植物園みたいな香りがした。
小学校に上がって最初の春の遠足で、芝生にレジャーシートを敷いてクラスのみんなで輪になってお弁当を食べた記憶が幸福すぎて、いまだに京都府立植物園が世界で一番幸福な場所だと信じているので、あの時の匂いがして幸せな心地になってしまった。
どこかのスーパーでお花を買えるだろうと思っていたら全然スーパーがなくて、霊園から数キロ離れたところにある商店を見つけ、切り花を買うことができました。
車でなくバスなどで向かう場合は予め地元駅などで買ってきた方がいいかもしれない。
出発した時は頭上は真っ白の雲に埋め尽くされていたのに、千葉の笠森霊園に着いたときには雲ひとつない青空で、成田空港が近いからかひっきりなしに飛行機が飛んでいた。
晴れた平日の昼下がりに、何台かの車が止まっていて、何人かの女性を見かけた。不思議と割と若い女性ばかりだった。
空が広くて、芝生の丘があって、こんなに明るいお墓があるんだなぁと驚いた。
お墓の住所を調べる。過去にお墓参りに行った人のブログに助けられる。これは住所を知らずに向かうと相当時間がかかったろうと思う。先人たちに感謝。
お墓参りには夫と行ったんだけれども、日の当たる坂道を登るのに、なんとなく手を繋いでくれと頼んで歩いた。
小高い丘の上はスコーンと綺麗だった。
桶に水を汲んで柄杓を持って歩く。
過去に見た写真では、綺麗な字体で名前の書かれた看板があったはず。
なかなか見つからなかったが、木製の看板がおそらく経年劣化で傷んで取れていて、墓跡と歌碑の間に挟まれていた。
思えば、こんなにじっくりと感じ入って歌碑というものを読むのは初めてだった。
ひこうきの歌詞が書かれていて、頭上には音もなくひっきりなしに飛行機が飛び、今度もここでずっと会えると書いてあって、あまりにここにある通りなので泣きたい気持ちになった。悲しいというよりは、小学生の頃の幸福な時間を思い出して懐かしいとかでも戻れなくて淋しいとか、そういう類の気持ちだった。
柄杓で水をかける。これでいいのかな?などと言いながら。
買ってきた切り花を生ける。1束しか買っていなかったので片方にしか生けられなかった。
失礼があったらごめんなさいと心の中で謝りながらお墓の前にしゃがみ込み、挨拶をした。
お墓の右横にクーラーボックスが置いてあり、そこにはファイルやお線香やアルバムやメッセージの書かれたノートが収められていた。
アルバムには、サトちゃんの生い立ちがまとめられていた。中学生のアルバムや高校のアルバム、一眼レフで撮られたであろう電車に揺られるサトちゃんの写真、いろんなものがあった。
ノートにはここに訪れた人のコメントが残されていた。日本のファン、海外からのファン、宇宙、日本、四万十って書いてある人もいた。
それから毎年毎日前後に欣ちゃんからのメッセージが書き込まれていた。それを2011年から2019年まで順を追って読んだ。
そこにある内容と自分の思い出を照らし合わせた。
2011年のライブ、行きたかったけど行けなかったな。2013年のソーメニーティアーズのツアーのことも書かれていて、名古屋のライブハウスの最前列で見たことも思い出された。2015年の音泉魂に行けなかったことも、2016年のツアーのことも、昨年の2月に見たライブのことも、思い出された。私が出会った時にはすでにサトちゃんは亡くなっていたけれど、それでもこの10年間にフィッシュマンズにまつわるたくさんの思い出があることに気づいた。風営法が厳しくなる前のフィッシュマンズナイトで夜を明かしたこと、アロハフィッシュマンズの終演後に路上でハカセさんとお話したこと。なんか、こんな風にしてこれからも死ぬまでこの人達の作った音楽を愛し続けたいなと思った。それができることの幸福を思った。
私はこの10年くらいかけて、フィッシュマンズ全書というインタビュー集(驚くほど字が細かくて分厚い)を順に読んだり、フィッシュマンズにまつわる事柄について書かれたブログを何年分も遡って読んだりしていたけれど、ネットにない事柄というものがこんなにたくさんあるんだなぁと思い、ここに来て良かったなと思った。
この10年、ずっとここに来たいと思っていた。いつか行けたら、と思っていたけれど、今朝思い立って夫を誘いレンタカーを借りて本当に来てしまった。来れてよかった。
メッセージノートには、芝生でゴロンとしてしまうほど居心地が良く…というようなコメントを残しているファンがいたけれど、本当にこんなに明るいお墓があるんだなぁと思った。神社に参った時に心がクリーンになる感じにも近いというか、それともやっぱりちょっと違うかな、優しい感じがした。
帰りの車の中で夫が、なぜあんなに遠い場所のお墓を選んだんだろうかと言った。
きっと有名な人だったから、これからも人が訪れるだろうと思って、丘の上の芝生が綺麗なところを選んだんかなぁと言った。
涙腺が刺激されるタイミングというのは全く予想がつかないもので、その言葉を聞いた時に急に胸が詰まった。
レンタカーを返却して、夜道を歩きながら思った。
これまで、この世で一番好きでこの先もずっと一番好きな音楽でありながら、永久に新しい作品が作られることはないのだなぁと思って一人淋しくなっていたけれど、
そうか、こんなにたくさんのものを残していってくれたんだなということに気づいた。
フィッシュマンズが残した音楽は減ったり消えたりしていかないし、残した音楽は1曲や2曲じゃなく、何十曲もあって、それからまだまだ自分の知らない事柄にも今日触れられて、死ぬまでずっと噛み締めていけるくらいたくさんのものを残してくれてるんだなぁと気づいた。
あの明るいお墓に行けて、本当によかった。
おわり。
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